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多 忠朝(おおの ただとも)について

多忠朝

多忠朝は、明治16年4月に多忠古の長男として東京に生まれ、明治31年3月15日に楽生として宮内省楽部に入り、明治42年6月1日に楽師として任官、昭和11年1月8日に楽長となる。昭和20(1945)年に楽長として退官するまで、宮内省楽部に奉職した。

その間、笛・神楽歌・右舞で宮中に仕え、昭和天皇の大典で、「悠紀風俗」と「主基風俗」の作曲・作舞、「五節舞」の舞の復興、紀元2600年では、〈奉祝会〉制定の新作舞楽「悠久」、宮内省楽部の新作舞楽「昭和楽」、民間で奉奏した「懐古」、全国の神社の社頭奉奏された「浦安の舞」の創作を行った。

昭和7(1932)年、楽部在職中に神社音楽協会を創設、「神社の御祭神にふさわしい神社音楽を」と、全国の神社で舞う神楽舞の復興や作曲・作舞等、神社音楽の創作、普及などに尽力した。

昭和31年逝去。