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多 静子(おおの しずこ)について

多静子

明治45年1月12日に多忠朝の長女として生まれる。
昭和15年紀元2600年に奉祝神楽「浦安の舞」の講師として内閣より任命され、台湾、神戸、都内学校教諭の指導に派遣される。
昭和31年に父である多忠朝が亡くなった後も、全国の神社において、神前神楽舞の指導を行っていた。
その後、全国の神社の後押しで、昭和38年に神社音楽協会を正式に再発足し、第2代会長となった。
昭和46年5月に神社本庁を始め、昭和48年5月に神道文化会より表彰を受け、その後も寒川神社より功労賞を授与されるなど、数々の表彰等を受ける。
昭和57年4月6日台湾慈湖に於いて、蒋介石総統の霊前に神楽奉納を行う。
また、ハワイの各神社に奉納15回、ハワイ大学と分校に於いて数回の公演を行い、日本国内においても、沖縄の日本返還を祝しての公演(那覇)や京都会館での公演を行ってきた。神社音楽協会の定期公演会である、「神楽舞公演」は33回開催した。
神社音楽協会再発足以来、多忠朝の作曲・作舞した舞の指導・復活を行い、多静子自身は20数曲に及ぶ神楽舞の作曲・作舞を手がける。
神楽講習会を通算127回(東京94回、奈良33回)開催し、日本全国の神社へ神前神楽舞の指導及び普及と確立に生涯をかける。
平成23年1月11日神社音楽協会を一般社団法人に移行し、会長兼代表理事となる。
平成23年3月11日の東日本大震災に深く心を痛め、震災からの復興を祈願する「復興祈願祭」を各地で行う事を決めた。
第1回を福島県の開成山大神宮で行ったが、第2回を宮城県の志波彦神社鹽竈神社で行うことを決めた後、平成25年逝去した。